どうも luve heart's And Be ネモトです。
今日はランナーとして書かせて頂きます。
前の記事でも書いたのですがハーフマラソンをすることになりました。
そしてこちらが世間にオフィシャルに発表していこうと言われた画像です。
そうですよね、
『ん?』
となりますよね。
そしてこの大会が近づくにつれ、社長にお会いする度にお前体仕上げてるんか?
と美容師と思えない会話が続いておりました。
しかし僕は勝ちたい気持ちもあり、20キロなら根性で走り切れる自信はありましたが、共に抽選に当選した藤原さんはとても心配でした。
何故なら彼の運動能力は鶴見緑地でウォーキングしてるおばちゃんと一緒だからです。
前日にも温泉に行き、俺は俺で前日気持ち高めとくわと1人でサウナに消えていきました。
せめてサウナで根性を見せてくれるかなと思いましたが、先に出てて待ってると5分後に茹でダコになった藤原さんが出てきました。
そして運命の当日朝5時に外に出るとまだ夜でした。
そしてスタート前は五輪選考会だからな!
と笑い抜きで言われ、気持ちの作り方が分かりませんでした。
改めて参加選手3人を。
26歳 元バスケ部主将(自称)
事実確認まだ 趣味スイッチ
26歳 元体操部
服装だけ一丁前 趣味 登山
42歳 オダギリジョーと同い年
体型がリーチマイケルの高校時代
adidasをこよなく愛す
そして大阪城外周(4.3キロ)
を5周がスタートしました。
ここからは写真は撮る余裕がなかったので
文章で書かせて頂きます。
まずはスタートして500メートルの時点で僕と社長の勝負になりました。
社長は勝負の鬼なので前に誰かいればいるほど力が出る真田幸村なので、僕は最終周で抜かすことだけを考えて体力を温存しておきました。
走ってる最中はこの日に備えて作った音楽プレイリストを聴きながら、いわゆる物語の主人公的な世界に浸っておりました。
しかしながら3周目から味わったことない疲労と腕を振るにも腕が痛くて、そもそもなんで走ってるの?的な感情も出てきてメンタルが崩壊しそうでしたが社長に勝ちたい気持ちのみで走り続けてました。
この時にはすでに藤原さんの存在は忘れていました。
そして運命の最終周の半分を切ったところで抜きに出ました。
箱根駅伝で言うピークです、沿道に人はゼロですが。
そしてその抜かした瞬間の時の僕の顔をレースを終えた社長はこう語ります。
『ゾンビが来た』
そう思うほど肩で息をしながら、精神だけで走っていたそうです。
そしてそんなゾンビの状態で走り続けれるわけなく社長に追い抜かされ、最後の直線では社長は馬に乗り走ってるのか?ぐらい早く駆け抜けていき敗北を喫しました。
ピースが運動会での息子ですが。
そしてゴール直後の僕は満身創痍とはこのことで今なら小学生にも相撲で負けそうでした。
(ターミネーターみたいになった。)
タイムにして社長と僕で4分差がありました。
こんなに悔しいのは初めてで、レースについて熱く語っていてそろそろ帰ろうかとなった時、
あっそうだもう1人いたわ。
となり藤原さんを待つこと45分、、、
ほぼラスト2周は歩いていたのですが、何故か疲労困憊でした。
そしてすぐに座ると
『コラ!体を伸ばせ!』
と小出監督(高橋尚子を育てたコーチ)
に怒られてました。
そして恒例の
年齢にして16歳離れてる社長に勝てなかったので、歯向かってすいませんでしたの図を。
(中国4000年の歴史みたいな写真)
社長の公式記録です。
あいにくですが何故このような写真なんですか?と言われても僕には答えることが出来ません。
42歳すげぇ、、、
僕も運動してたんで自信あったんですが、
やっぱ社長凄いです。
そして吉野家で消費したカロリーを一気に摂取して家に帰りました。
社長は上着とかを持っていなくて、
藤原を待っていたため汗が冷えずっと内股でしたが僕らの手前
『暑いわぁ』
と言い張る姿はまさしく漢の漢でした。
22キロは男性の平均タイムは年齢関係なく言うと2時間16分なので、本来僕は長距離を苦手としているのでこんなに早く走れたのは社長という好敵手がいたからです。
16歳離れた社長と本気でこうしてぶつかれて幸せです。
次は勝ちます。